水子供養に行ってきた。
思いつきだった。気持ちの整理の意味合いが強かった。
駅からバス移動で徒歩10分程度。結構入り組んだ住宅の中にひっそりと佇むお寺。
入り口には猫が何匹もいてウロウロとそこら中歩いており、玄関に近づくとすり寄ってくる。
人馴れしているんでしょうね。元々猫飼っていたので、懐かしい気持ちになりました。
玄関を開け、靴を脱ぐ。本堂の脇の小部屋に案内され、ご挨拶と命日や経緯を軽くお話する。
水子についての考え
人は生まる前から寿命が決まっている。どこに生まれてくるかは挙手制。神様に頼んでこの人たちの子供になりたいと志願して生まれてくる。お腹の中で今回亡くなってしまった子供も8週間という短い時間だったけど、それでも私達の間に生まれたいと願ってできた生命であるということをまずわかってほしい。
水子に関して、他との違いは、知っている人がどれだけいるか。
生まれてくれば、親族友人など社会的に知れる。しかし水子は肉体をもって生まれてくることができなかったからお父さん、お母さんしかしらない。
お経については暗いイメージをもたれることが普通。お葬式とか法事でしかきかないから。
この水子供養は仏の世界に引っ越すイベントと考えてほしい。
何妙法蓮華経唱える、お経を上げることは日蓮宗では御馳走(ディズニー行くようなもの)で、とても楽しいイベント。だそうだ。
今回は悲しいけど、寂しいけど、お父さん、お母さんがお楽しみ会を企画したから、楽しんでね。という考えを持ってほしい。
差別はだめ、区別はok
実際にこのあと新たな生命を授かる可能性もある。
当然生まれてくることなく亡くなってしまった我が子より、肉体をもって生まれたほうが感情入るし、
必死になってしまう。それは当然のこと。それを妬むようなことは決してないから心配はいらない。
身体はないけど、魂はある
なので、お彼岸、お盆、誕生日は仏も期待するからその時は立ち寄ったり思い出してほしい。
思い出したり考えたりすると、魂はよってくる。
思い出した=「ご無沙汰だよ」とせかされてると考えてその時は予約はいいからお参りにきてほしい。
必ず見えないところで力が働く。
色々書いたけど、行ってよかった。
不思議な気持ちですが、そうだな。。
なんという感じだろうか。
厳か。
ですね。
おわり。